「女子力」とは何か
なんかわかるなー、と思った記事。
http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20090913/1252836093
それこそ小悪魔なんちゃらとかに始まり、「女子」というものが趣味として確立されて、「女子力」というステータスが確立されて。
不思議と「女子力」は"頑張って上げるもの"という感覚が出来上がり、努力で女子力を身につける人はいても、努力で女子力を落とす人はいないわけです。
「女子」を保つのには努力が必要。
だからこそ古き良き文化としては、花嫁修業なんて言葉もあったんでしょうか。
花嫁になるためには「修行」が必須なわけです。
やっぱ個人的にもそっち側にアコガレはします。
だからこそ「カワイイ」ものを見につけて「カワイイ」存在になろうと努力はする・・・かも・・・いや、してないな、私は。
なろうとしてふと実感したのは、「女子」でいる自分に甘んじてられるかどうか、ということ。
それを身につける作業は「自分を作り変える」ということに等しいらしい。
自分が女の子っぽくなったことで得られるものが、失うものより多いと思うんだったら
まさにコレがそうなんですが、何らかの理由であえて女子力を遠ざけてきた人間がそれになろうとした場合、それまで『否定してきたもの』になろうとするわけですから、プライド(多分意地)を捨てなきゃいかんのです。
否定することで自分のアイデンティティを守ってきたんですから。
努力して捨てるより、最初から要らないと言った方がどんなに楽か。
あ、ちなみにいわゆる「カワイイ」系女子ではなくても、カッコイイ、サバサバ系の女の方もいますが、多分そのジャンルはそのジャンルで女らしさ(=女子力)というものはあります。そこを否定してるわけじゃないです。
一番好きな女優は今も昔も永作博美と大塚寧々です。
ただ、やっぱりあのクラスタの方達というのは、そこで得られているものについて直感でわかってるんじゃないのかなと。
エチカの鏡でタモリが言ってました。
『自身のあるやつほどプライドは簡単に捨てられる。』
そういうわけで、「女子力」の高い女子というのを私は尊敬するわけです。